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神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ奮闘前進せよ!

  • 執筆者の写真: cordial8317
    cordial8317
  • 2024年4月3日
  • 読了時間: 6分



 本日は「建国記念日」、戦前は「紀元節」として奉祝した日である。祝日法には「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」とあり、また本日は、大日本帝国憲法(欽定憲法)発布記念日でもある。欽定憲法並びに旧皇室典範こそ、明治人の智慧が凝縮された日本の至宝である。悲しい哉、この二つは放置され続けている。


 祝日法に記されている「建国を偲び、国を愛する心を涵養する」とは如何なることなのか。それは、現代の安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは、神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。


 何故か我が国では日本を愛し、国體護持を訴え、愛国心をアピールすると「右翼」や「反動」と非難され、危険思想の持ち主だと罵られ、右翼は自称保守派やネトウヨらからは「朝鮮右翼」などと忌み嫌われる(笑)


「今の時代はますます複雑になって新聞を読んでもテレビを見ても真相はつかめない。そういうときに何があるかといえば自分で見にいく他ないんだよ。いま筋の通ったことをいえば皆右翼といわれる。大体『右』というのは、ヨーロッパの言葉では『正しい』という意味なんだから(笑)」と言ったのは三島由紀夫である。


 右翼を英語でいうと「right」だが、日本で「右翼」となると「=ヤクザ」だとか「=バカ」と捉えられるが、英語の「all right」となると「よろしい」とか「差し支えない」「任せろ」といった意味になる(笑)


「右」という字は「右肩上がり」とか「右腕」だとか好ましい意味で捉えられる。「右倣え」とは言うが「左倣え」とは言わない。要は日本人が右に倣え(all right)ば、正しくて好ましい国になるということか(笑)


「左」というと「左団扇」とか好ましい意味もあるが、知能が足りない者を「左巻き」というし、正しい道に反することを「左様(さよう)」という。「さようでござるか」を「左翼」に当て嵌めると分かり易い(笑)


 右翼と左翼の語源をよくフランス革命に準えて、左に座った勢力を革新派としているが、日本の漢字の語源こそ「左」の意味をよく表していると感じる。世界の左翼というのは全てが愛国者だが、日本の左翼というのは売国奴ばかり。現在の右翼陣営の為体は著しいが、日本の珍左翼の劣化に比べれば可愛いものだ(笑)


 営業保守に煽られた自称愛国者やネット右翼と称する連中の過熱ぶりを目の当たりにする。国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、反中共、反米、反韓、反北朝鮮と勇ましい言葉が乱舞するが、国を愛する心を涵養するどころか、日本的気風を感じることはなく、折角の「愛国心」が贔屓の引き倒しになってしまってる感は拭えない。


 三島由紀夫は、愛国心について「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と語ったが、激しく同意する。我ら日本人が持つべきは「大和の心(大和魂)」であり、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心の涵養である。


 国を愛する心の涵養とは、ナショナリズム的愛国心ではなく、日本人らしい大和心を涵養であり、これ即ち、国学者・本居宣長の「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」。この和歌に極まれり。


「愛国」の言葉の由来は、天智2年(663年)に遡る。唐・新羅連合軍に攻撃された百済は我が国に救援を求めると、中大兄皇子(天智天皇)を中心とするヤマト朝廷はこれに応え、全国から傭兵、凡そ5万を募り、百済に援軍を送った。然しその甲斐なく、日本軍は「白村江(はくすきのえ)の海戦」で大敗を喫した。


 生き残った者は捕虜となった。 その捕虜の一人に大伴部博麻という人物がいた。博麻は「唐が日本を攻める」という情報を得るも、それを日本に知らせる術はなかった。博麻は自らを奴隷に売って資金を捻出し、その工面した金で仲間を日本に帰国させ侵略の危機を知らせた。持統4年(689年)のことである。


 奴隷となった博麻が帰国したのは何とその30年後。帰国後、持統天皇が博麻を表彰し、「朕嘉厥尊朝愛国 売己顕忠(我は、貴男が廷を尊び、天皇国を思い、己を売ってまで忠誠を顕かにしたことを嬉しく思う」との勅語を贈った。天皇から一般個人に与えたられた勅語は大伴部博麻への勅語以外には無い。


「愛国」という言葉の由来は「日本書記・第三十三巻」からの出典であり、博麻へのの勅語が基となっている。日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として、確かに「愛国心」は相応しい言葉だと思うが、建国記念日の「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」の本意は大和心の涵養と神武肇国の精神の高揚である。


 明治22年2月11日「大日本帝国憲法(明治欽定憲法)」が発布されると、全国各地の神社では紀元節祭を行うこととなり、青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が盛大に開催されることになった。


 だが、終戦により紀元節は廃止されることとなる。統治下の昭和22年、日本国憲法に相応しい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれるも、GHQにより削除されてしまう。要は、2月11日は大日本帝国憲法の発布記念日であり、日本国憲法を授けた米国側からすれば怪しからんということだったのだ。


 我が国がGHQからの占領から解放され主権を回復した昭和27年4月28日、全国で「紀元節復活運動」が起き、昭和33年に国会へ紀元節に関する議案を提出する。昭和41年に祝日法が改正され、翌年2月11日に漸く「建国記念の日」として実施され今日に至っている。「紀元節復活運動」から実に15年の歳月を要した。


 2月11日には全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝パレードが行われるが、この国に生まれた者として建国を祝うことは至極当たり前の光景だ。だが、一方では「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、共産党を始めとした売国団体や誤(護)憲派が「奉祝反対」の催しを目にする。


 日本国憲法を有難がってる連中が、憲法下で制定された「建国記念日」を蹂躙している意識は無い。連中の「科学的根拠が無い」とする論拠が、歴史学者であり「赤の宮様」と言われた故高松宮崇仁殿下の御意見というのは嗤える。日頃「反皇室」を叫んでいながら、皇族の私見を利用して国民世論や大衆を煽動する。


 正に「平和ボケ」と揶揄される日本人を象徴するものだが、「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、国家の大理想が掲げられてる大日本帝国憲法の復活を危惧してのものだ。逆を言えば、明治人の知恵の結晶でもある旧帝国憲法の復元と改正こそが日本再生への道であり、日本人としての義務でもある。


 建国を偲び、国を愛する心を涵養する日とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義と大理想を伝えて行くべきであろう。そういう意味でも「建国記念の日」というより「紀元節」と呼称するのが望ましく、現憲法の改正より、大日本帝国憲法の意義を考える日にしなくてはならない。


 誰もが「何故に日本人としてこの国に生まれてきたのだろう」と考えたことがあるだろう。自分に誕生日がある様に国にも誕生日があり、それを祝うのはその国に生まれた者の務めであり、民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは我ら日本人である。


 祖国日本に生を享けた我ら日本人は、紀元節に当たり、神武肇国の大理想である八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ)という「八紘一宇」を天高く掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しようではないか!


 すめらぎいやさか!すめらみこといやさか!天皇陛下万歳・万歳・万々歳!皇紀2684年


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