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明治天皇巡幸に由来する「海の日」は7月20日でなくてはならない

  • 執筆者の写真: cordial8317
    cordial8317
  • 2024年7月20日
  • 読了時間: 6分

本来「海の日」は7月20日でなければならない。祝日法に拠れば「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」とされている。だが、本来の意味は「海の恩恵に感謝する」という趣旨とは全く違うものだ。


 戊辰戦争で「朝敵」「逆賊」に仕立てられた会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。  


 会津藩に限らず、戊辰戦争で徳川幕府に恩義を感じ、敗戦は必至なれども覚悟を以て抗戦し、敗れた多くの東軍(東日本)の雄藩は、長州閥の新政府に参政することなく、不毛の地で辛苦の日々を送っていた。


「賊軍」との汚名を着せられた方々は、新政府に対し言いたいことは山ほどあっただろう。だが、彼らは臥薪嘗胆、自分達が耐えることで国全体が保たれるのならばと悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。


 明治9年、畏くも明治天皇は東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。この巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。


 出発は6月2日、「明治丸」で横浜港を出て福島県磐城へ寄港。磐城からは馬車で福島から仙台、岩手、青森と北上、明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。 明治天皇も各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。


 愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜されたという。明治天皇が御休息遊ばされた「開成館」は今も保存されている。


 青森県弘前の「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金五円を下賜された。


 また或る地方では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。どの逸話も、明治天皇の慈愛に満ちたもので、正しく天皇と国民は君民一体あることを自覚し、東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。


 この東北・北海道の巡幸を以て、賊軍も逆賊も朝敵もなく一切の蟠りも無くなったのだ。ならばこの巡幸を以て戊辰戦争の不条理を糺すべきだったが、長州閥の明治新政府は靖國神社の死者の選別を維持した。


 現在の靖國神社に於ける本殿と鎮霊社の並立状態は「死者の選別」であり、こうした死者に対する差別的処置は日本人の宗教観や死生観からも違和感を覚える。「朝敵」や「逆賊」とされ未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状は、真に「靖國」の意味が在るのかという疑問を拭い去ることが出来ない。


 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道であり、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず、遺恨を持つ薩長の策謀により「朝敵」とされただけだ。孝明天皇から容保公に下賜された御宸翰が何よりの証だろう。


 朝敵を別なカタチで祀ることと、朝敵を本殿に祀ることと、どちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。このまま未来永劫「死者の選別」をした儘で好いとは思えない。


「国靖かれ」と願って亡くなられた方々は別に西軍の戦没者だけではない。東軍の戦没者も同じ想いだ。今こそ、明治天皇の思し召しにより創建された靖國神社の在り方を真剣に考えなくてはならないと痛感する。


 東北・北海道への巡幸に臨まれた明治天皇が「明治丸」で横浜に帰港された日が7月20日だった。この日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。悲しい哉、国民の多くが「海の日」の由来を知らない。


「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」という趣旨は、「海の日」が単なる休日の一つにされ、ハッピーマンデーとされてしまっていることは、日本人の精神的幼稚さを示すものの一つである。


「海の日」は、東日本大震災と原発事故の風評被害に疲弊している我々福島県民を始め東北人にとって、東北巡行に臨まれた明治天皇と被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い日でもあるのだ。


 自民党は以前より、所謂「ハッピーマンデー」となっている「海の日」を、従来の7月20日に変更する祝日法改正案の提出を計画していた。国柄を重んじるべき保守政党として当然の行為であろうと考える。


 だが、あろうことか、いつの間にか祝日法改正案提出を断念してしまった。断念したその理由は、「三連休が減ることで、観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮したからだ」という。何たる認識か。これが保守政党なのか。何が「観光産業への打撃」か。「祝日」は単なる「休日」ではないのだ。分かるか、自民党よ!


「成人の日」や「体育の日」「敬老の日」「海の日」などの所謂「ハッピーマンデー」は、国體破壊を策謀する左翼陣営が企画したものだ。こうした愚策を疑いもなく、保守を標榜する自民党や似非保守政治家らが同調し施行されてしまったことは実に御粗末と言う他はない。そんな中で「山の日」が固定されてる不思議。


「成人の日」が、何故1月15日なのかと言えば、この日が「小正月」であり、神道の儀式の一つ「元服の儀」が小正月に行われていたからだ。「体育の日」は東京オリンピックが開催された10月10日だったからだ。


 国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、我が国の国柄を顕す11月23日の「新嘗祭(勤労感謝の日)」と、2月11日の「紀元節(建国記念日)」をハッピーマンデーにすることが狙いなのは明らかだ。


「三連休が減ることで、観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮して」という理由を正当化するなら、建国記念日も勤労感謝の日も、ハッピーマンデーにするつもりなのか。「山の日」は強制的な盆の入りだ。


「海の日」をハッピーマンデーとしながら、何故か「山の日」は8月11日と固定化されている。山の日に意味は無く、「八」と「11」で「山」とは単なる語呂合わせ。新たな祝日を作り、盆入りを早めて観光に繋げようとは笑止千万。「海の日」の意味を広め、ハッピーマンデーから簡択し、7月20日に固定すべきである。


 現在の祝日の半分が神道の祭日ということを知ってる人は少ない。戦前は殆どが神道の祭日。現在でも半分が神道の祭日に由来する。諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が、祝祭日を単なる休日としか考えていないのはさもしく情けない。


 GHQが戦後の統治下で謀った日本弱体化工作は何も日本国憲法ばかりではない。統治下で謀られた全てがインチキなのだ。我が国の歴史や伝統、文化を否定することから始まった現在の「祝日法」もGHQによる策謀なのだ。それに左翼陣営が便乗して再改悪を謀り、我が国の国柄を毀損し続けているのが現状である。


 我が国の祝日の半分が神道の祭日であることが我慢ならない左翼陣営は「ハッピーマンデー」という愚策でその祭日を葬ろうとしているが、祝祭日を本来の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題である。


 建国記念の日を「紀元節」、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻し、意味の無い祝日を廃止し、4月3日を「神武天皇祭」、10月17日を「神嘗祭」として復活させる事は、GHQが謀った戦後体制からの脱却と我が国の国柄と国體を取り戻すことにもなるのだ。


 ザ・右翼ジャーナル社々主 佐久間五郎

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