保守愛国者陣営の8月15日の靖國神社への参拝は正に贔屓の引き倒し!
- cordial8317
- 2024年8月14日
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今年もまた靖國神社での厭な姿を目にするのだろう。8月15日の参拝が保守派を標榜する政治家や自称・愛国者らの踏絵の様になってるが、これこそ贔屓の引き倒しそのものであり、靖國神社と英霊への冒涜でもある。
靖國神社は英霊を追悼する施設ではなく、英霊の功績を顕彰する社である。それなのに「英霊に哀悼の誠を捧げて来た」と言って憚らない。靖國神社祀られてるのは神様であり、神様に追悼とは摩訶不思議。
「哀悼」とか「追悼」というものは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。靖國神社は追悼施設ではなく、英霊の顕彰を重んじている社であることを理解していないからこんなことが罷り通る。
「顕彰」とは、隠れた功績や善行などを称えて広く世間に知らせることである。顕彰ということを重んじるならば、8月15日に靖國神社に赴くことが重要ではなく、左右入り乱れてのあの喧騒は逆効果の方が大きい。
右翼までもが東京裁判史観に冒されて、「終戦」の意味を穿違えて靖國神社に詣でるなどとは笑止千万。こうしたことでも我が国は「終戦」とは名ばかりの、未だ主権快復も出来ていない幼冲国家だと痛感する。
国民の多くも8月15日を「終戦記念日」と疑わない。昭和天皇の御聖断でポツダム宣言受諾が決定され終戦の詔勅が公布されたのが8月14日。翌15日は録音された終戦の詔勅(玉音放送)が下された日というだけ。
そうしたことに違和感を覚えず「我こそは愛国者なるぞ!」と靖國に集まって来る連中を見ると滑稽にしか見えない。戦艦ミズーリの甲板上で重光葵外相と梅津美次郎参謀総長が降伏文書に調印した日は9月2日。
連合国はその翌日3日を「対日戦勝記念日」としている。我が国が武装解除からGHQの統治が明け、最終的に戦争状態が終結し主権回復したのは昭和27年4月28日である。我が国の真の終戦記念日は4月28日である。
8月15日を「終戦記念日」という呼んでいることこそが、GHQに因る戦後民主主義教育に因る洗脳の最たるものであることに気付くべきである。また、8月15日の趣旨が「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」であるならば、「終戦記念日」というよりも、「平和祈念日」と呼称する方が相応しいのではあるまいか。
自称保守派や自称愛国者らは遺族を押し退けて参拝し、8月15日に首相や閣僚の靖國神社参拝を熱望する。然し乍ら、戦後の総理大臣らの参拝は8月15日ではなく、春秋に斎行される例大祭に詣でるのが恒例だった。
8月15日に靖國神社に「公式参拝」したのは昭和60年の中曽根康弘だが、「私人」として参拝したのは三木武夫だった。未だに続く「公人か私人か」の論争は、この三木の参拝がきっかけで始まったのを知るべし。三木の後に福田赳夫が私的参拝。続く中曽根が公式参拝したことで、靖國神社が政治利用される様になって行く。
大勲位である故中曽根康弘を正当な保守派でありタカ派だと思ってる国民は多いが、曲学阿世の政治家そのものだった。松平宮司(当時)はその光景を「他人の家に泥靴で踏み込む様な人」だとその行為を断じている。
「(中曽根首相は)遺族を参道に並ばせ、非常に芝居がかった演出をした。驚いたのは、その横にボディガードを連れて行動したんですね。うちの神様というのは、皆手足四散して戦場で亡くなられた方が大部分です。そこへ参拝するのに自分のみ安全を謀るSPを伴うというのは無礼、非礼の極みと言う他はありません」
中曽根の終戦記念日での参拝はとても公式参拝と呼べる様なものではなく、手水もせず、御祓いも受けず、玉串奉奠もせず、二礼二拍手一礼もしない、黙祷だけという神道否定、神社冒涜の異様なものだった。当日、松平宮司は中曽根を出迎えることなく、記帳台の周囲に幕を張って密かに御祓い(陰祓い)したという。
中曽根の終戦記念日の参拝以降、8月15日の参拝が保守派を標榜する政治家や自称・愛国者らの踏絵の様になってるが、それは中曽根のマッチポンプと言うべき英霊冒涜の公式参拝を理解していない証左であり、検証すれば如何に終戦記念日の参拝が靖國問題を殊更ややこしくしてしまっていることにも気付くべきだろう。
中曽根は、多くの国民の支持を得た終戦記念日の公式参拝して乍ら、驚くことにそれから間もなく中共からの抗議を受けると、申し合わせたかの様に「公式参拝」そのものを謝罪するに至った。その理由を中曽根は驚くことに、当時の中国共産党書記長で「知日派」と言われた「胡耀邦の失脚を防ぐ為のもの」だと平然と答えた。
要は、初めから8月15日の所謂「終戦記念日」の公式参拝には抗議が来ると読んでのマッチポンプだったというのが正しく、この謝罪により、歴代続いた靖國神社への公式参拝が途絶えたばかりか、陛下の御親拝も憚れる様になってしまった。こうしたことでも、中曽根の靖國公式参拝は万死に値するものだったのだ。
この中曽根の靖國神社への参拝を利用したのが小泉純一郎だった。自民党総裁選に立候補した泡沫候補であった小泉は、出馬討論で「如何なる批判があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」と発言。この言葉は多くの国民を喜ばせたことはなかったが、これも結果は靖國を政治利用し混乱を招いただけのものだった。
正に中曽根の終戦記念日の参拝によって靖國神社は政治問題化され、その後の内閣の悪しき前例となってしまった訳だが、これこそ中曽根の狙うところであり、中曽根が似非保守と断じられる所以でもある。
中曽根の売国というのは枚挙に暇ない。その大罪を列記すれば、歴代続いた靖國神社への公式参拝を、支那・韓国のイチャモンに屈し取止め、その後の内閣の前例になったことは言うまでもない。中でも「支那人就学生10万人計画」に拠って日本を支那人の犯罪天国にし、日本国内の刑務所を支那人犯罪者で満員にした。
支那人留学生には一人当たり、年間250~300万円の予算が組まれ、学費は免除、月々の生活費も保証されている。四年間で平均1051万円もの血税が使われ、その予算は約2600億円に以上に及ぶ。こうした支那人への優遇措置が為される契機になったのが、中曽根の所謂「終戦記念日」の靖國神社公式参拝だったのだ。
未だ、保守派や自称・愛国者や右翼団体までもが8月15日に参集するのはこうした靖國神社参拝の経緯を知らないからで、8月15日の参拝は正に中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承と断じられても致し方ない。
8月15日という日は終戦記念日ではない。趣旨の通り「国民一人一人が夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社や護国神社に出向くことが立派なことではない。
現在の平和や繁栄が、戦没者の犠牲の上で成り立っているということは当然であるが、先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではないことは言うまでもない。
戦没者は、広島・長崎への原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐などに因って斃れた方々も多い。8月15日に保守派や自称・愛国者らが靖國神社の英霊のみに拘れば拘るほど、そうした風潮に違和感を持つ国民が増えることになっても不思議ではあるまい。況してや、インチキ政治家の靖國参拝なんてどうでも好いことだ。
8月15日は遺族の日である。遺族が心静かに詣でる環境を整え、陛下の御親拝を仰ぎ奉ることこそ肝要である。陛下の御親拝こそが聖恩無辺であり、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄これに優るもの無し。
ザ・右翼ジャーナル社々主 佐久間五郎
※長きに亘り、ザ・右翼ジャーナルを御愛顧頂きまして有難うございました。七生報国。天皇陛下万歳!
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