真の主権回復実現には我ら日本人は何を成すべきか
- cordial8317
- 2024年4月28日
- 読了時間: 6分

4月28日は「主権回復の日」。昭和27(1952)年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、GHQの統治から解放され我が国の主権が回復した。この日に因んで、安倍政権下で4月28日を「主権回復の日」と定めた。主権回復とは分かり難いが、我が国の「独立記念日」であり、実質的な「終戦記念日」である。
我が国が最終的に戦争状態を終結し主権回復したのが昭和27年4月28日であるなら、「終戦(独立)記念日」は4月28日が相応しく、8月15日を敢えて言うのなら「平和祈念日」と称するべきだと思う。
昭和20年8月13日、我が国は大東亜戦争での敗戦を認め、翌日14日にポツダム宣言の受諾に至った。翌月2日、東京湾上に停泊中の戦艦ミズーリの甲板上で降伏文書の調印式が行われたことで、米国を始めとした連合国では、翌日9月3日を「対日戦争終結記念日」や「第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦の日」としている。
9月2日、重光葵外相は調印の為に梅津美次郎参謀総長らと共に甲板に上る。「上海天長節爆弾事件」により失った右足が不自由な重光は義足を引き摺りながら、ステッキを頼りに細い階段を喘ぎ喘ぎ上った。
漸く甲板に辿り着いた重光は、調印を前に一杯の水を所望するも米国側に冷たく拒否される。敗戦者で卑怯者の「ジャップ」にやる水などないという米国人の憎悪と蔑視がここにも顕れていた。
上海天長節爆弾事件とは昭和7年4月29日に起きた爆弾テロ。重光は上海に於いて、駐中華民国公使として天長節奉祝式典に参列。国歌を斉唱する正にその時、朝鮮独立運動家である尹奉吉が爆弾を投擲した。
重光は「君が代」を歌い続け、結果、右足を失った。重光はこの時を振り返り「爆弾が投げられたのは分かっていたけれど国歌斉唱中なので動かなかった。動くのは不敬であると考えた」 と語っている。
同じく、重光の隣で事件に遭難し、爆発で片目を失った海軍大将・野村吉三郎がいる。野村は、この時の理由を「国歌斉唱中だったから逃げなかった」と語っている。後に外務大臣や駐米大使となる野村や重光の様な、こうした決死の覚悟と肝の据わった政治家や官僚がいないのが現在の我が国の不幸とも言えよう。
8月15日は、昭和天皇は終戦の詔勅(玉音放送)が読み上げられた日であって、「終戦の日」でもなければ、戦争が終わった日だと喜ぶ日でもない。8月15日を終戦記念日と称して「我こそは愛国者なるぞ」と言わんばかりに、靖國神社に詣でる自称愛国者や右翼陣営というのは、愛国を勘違いした贔屓の引き倒しそのもの。
マスコミは8月15日を終戦記念日として戦争の悲惨さを伝えるが、15日~9月2日の間に一体何が起きていたかは伝えない。18日には千島列島最北端でソ連軍との「占守島の戦い」が勃発。ソ満国境を越えたソ連の蛮行は止まるところを知らず、南樺太でも真岡郵便局の自決など多くの惨劇を忘れてはならない。
降伏文書に調印後、我が国はGHQの統治下に入る。日本人は矯正させられ様々な弱体化工作と贖罪意識を植え付けられることとなる。正に8月15日の靖國神社の参拝は、我が国の歪で幼稚な愛国心の顕れでもある。
終戦を記念するとは、「(米軍のお陰で)戦争が終わってめでたしめでたし」ということだろう。「記念」とは「思い出」という意味であり、何故に8月15日に戦争終結を記念しなきゃならないのか。
「終戦記念日」などとは日本人の使う言葉とは到底思えない。況してや自称・愛国者らがその日に何故に靖國神社に赴いて幼稚な愛国心を見せびらかしているのか不思議でならない。8月15日を「終戦記念日」と信じ込んでいるのはGHQによる戦後民主主義教育の洗脳の最たるものであるということを理解していない証左だ。
主権回復に伴い、4月28日に「日米平和条約」が発効する。これは独立後の日本を別な形で統治しようという米国の策謀であることは紛れもない事実であるが、この条約と日本国憲法の御蔭で国防費を最小限に抑制し、予算を民需に回すことで戦後復興が成し遂げられたという一面もあるのもまた事実だろう。
日米平和条約は、昭和35年に「日米の相互協力及び安全保障条約(日米安保条約)」が発効したことに伴い失効する。こうした、主権回復後の歴史的事実こそが、日米関係の日米関係たる所以である。
4月28日は、名目的には大東亜戦争が終結し主権が恢復(独立)した日ではあるが、日米安保条約は実質的な属国措置であり、「核共有」は米国への妄想でしかない。未だに続く米国依存と更なる米国追随は米国の敗戦後の統治下状態と何ら変わらず「主権回復」とは名ばかりの悲しい現実が眼前に突き付けられている。
「国防」という国家の大本を忘却し、まやかしの平和を貪り続け、魂亡き繁栄に現を抜かす根源こそが日本国憲法と日米安保条約であり、憲法と安保条約の破棄無くして真の主権回復など在り得ないのだ。
「国防」とは単に領土防衛だけではなく、三島由紀夫が語った様に「それを失ってしまえば日本では無くなってしまうものを死守すること」である。つまりは歴史・伝統・文化を守ということであり、畢竟、皇統を死守することに在る。だが、悲しい哉、明後日には皇統断絶に繋がり兼ねない退位の礼が挙行される。
終戦後の昭和21年から29年まで、昭和天皇は全国を行幸遊ばされ、国民を励ましになられた。正に、国民と共に在りたいとの大御心に、改めて日本という国に生まれたことに感謝せずにはいられない。
我が国の歴史を繙けば、仁徳天皇は、高みから民の竈の煙をご覧になられ、明治天皇は日露戦争の最中、前線の兵たちと同じ食事を所望されたという。昭和天皇も東京大空襲で皇居へ被害が及ぶ中、御所に止まり、国民とその苦難を分かち合った。今上陛下も平成の御代に於いての苦悩はまた斉しい。
陛下は常に国民と共に在り、この万邦無比の「君民一体」の国柄こそが我が国體の精華である。 日本人が護るべきものは平和や国民の生命や財産は言うに及ばず、国柄や国體であり皇統を死守することこそが使命である。だが、安倍政権下で退位特例法案や皇室典範改悪が謀られたことは歴史に禍根を遺した。
真の主権回復には、占領下に改正された皇室典範を明治(旧)皇室典範に戻すと共に陛下に奉還し、諸悪の根源である現憲法を破棄し、米国依存体制からの脱却を図り、国防体制を確立する以外にない。
米国製のインチキ憲法を有難がり、米国の価値感にどっぷり浸っているが、米国依存体質が続くのと比例して、我が国の国柄と日本人としての矜持が失われて行く様を拱手傍観している訳には参らないのだ。
然し乍ら、未だに占領下に謀られた多くの弱体化政策や不条理を検証することなく、米国の新自由主義を妄信し、米国の価値観を共有し続け、米国追随著しい我が国の一身独立(主権回復)は遥か夢の如し。
「米国依存からの脱却」や軽々しい「反米主義」とは言うのは容易いが、真の主権恢復を心から望むのであれば何より大事なことは「一身独立」である。福澤諭吉翁は各々をそうした心構えをこう訓えた。
貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず。
人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、
今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべ し。
古今その例少なからず。
我日本国人も今より学問に志し、気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、
随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。
道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。
一身独立して一国独立するとはこの事なり。
「一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん」とは正しく。4月28日とは、大東亜戦争の大義と主権回復の意味を知り、占領下に謀られた様々な不条理と不正義を検証すると共に、真の主権回復を祈念し、真の独立を実現する日にしなければならない。すめらぎいやさか。
ザ・右翼ジャーナル社々主 佐久間五郎
Comments