夫婦別姓を推進する勢力の真の狙いは「戸籍法」の廃止である
- cordial8317
- 2024年4月3日
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平成27年、民法の「夫婦は同一の姓とする」との規定の違憲性が争われた上告審で最高裁は「合憲である」との判断を示した。この判決を不服とする勢力は「選択的夫婦別姓」という新たな戦略を以て、民法と戸籍法の規定は違憲であるとして争われた家事裁判の決定で、23日、最高裁は「合憲」との判断を示した。
衆院代表質問で選択的夫婦別姓導入を訴えた国民民主党代表の玉木雄一郎に、自民党の杉田水脈が「だったら結婚しなくてイイ」と野次を飛ばし、問題にされたのは記憶に新しい。騒いでいるのはジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもとそれに与するアホ野党らだが、そこに保守政党であるべき自民党議員までもが賛同する。
夫婦別姓推進派の狙いは我が国の家族制度や戸籍といった伝統文化の破壊である。 夫婦別姓推進派の急先鋒というべき橋下徹は「選択的夫婦別姓」について、「反対する理由が分からない。選択的なんですから、同姓にしたいなら同姓にすればいい、別姓にしたいんだったら別姓にすればいい」と尤もらしく語る。
更に「反対する人は姓が変わる事によって家族の絆が失われるとかっていうのは、アホかって言ってやりたいんですよ。なんで反対するのかさっぱり分からない」 と語ってるが、これぞ橋下御得意の論理の摩り替え。
橋下は、敵対する勢力を作っては過激な言辞で注目させ、マスコミを使い世論を煽るというのが橋下の手口。保守を気取ってはいるがその正体は怪しげ。訴えている政策も「国立戦没者追悼施設建立」「A級戦犯分祀論」「夫婦別姓推進」「戸籍法廃止」「外国人参政権付与」「沖縄独立」など売国的なものばかり。
中でも「戸籍法廃止」について、「日本の戸籍は差別助長のツール」「戸籍は不要。マイナンバーで事足りる」「夫婦別姓の実現には戸籍を廃止するしかない」などと国民世論を誑かし、戸籍法廃止を訴える。
「現戸籍における本籍地や出生地の記載は被差別地域を確認すること以外に使い道がありません。本人の本籍地は簡単に変えることができますが、本人の出生地や先祖の本籍地・出生地は延々と付いてくる」との理由。
「本籍地や出生地の記載は被差別地域を確認すること以外に使い道がない」とは妄想逞しい。「先祖の本籍地・出生地は延々と付いてきます」とは何が不都合なのか。戸籍の不必要さを声高に叫んではいるが、要は、士農工商の下に置かれた穢多・非人や同和や部落解放同盟との疑いのある親や先祖の過去を消したいだけ。
「現代社会において不用な、本人の出生地、先祖の本籍地・出生地情報を戸籍に記載することはもう止めようよという政治的な動きは全くありません。この不要な戸籍記載こそが、悲惨な差別問題を引き起こしている」と熱く語ってるが、部落差別や同和問題は大阪や京都などの特異な地域での問題でしかない。
戸籍自体が「被差別地域を認定し差別を生む」というが、その差別されてるという意識が被害妄想そのもの。「差別」を利用して戸籍法廃止を目論むこと自体が、同和やアイヌなどと同じ差別利用に他ならない。
日本国民の家族の一体感を維持しその絆を支えているのが「戸籍」である。国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録する戸籍制度は、結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担っている。橋下ら夫婦別姓推進派のあれやこれやの屁理屈は付けたりに過ぎない。
彼奴等の狙いは戸籍制度の廃止であるが、最終的な狙いは教育勅語に示されている「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し」という日本的家族制度を瓦解させ、日本民族の族長であらされる天皇の廃止である。
野次を飛ばした杉田水脈じゃなくても、「別姓するくらいなら結婚などしなきゃいい」と思うのが普通の日本人の感覚だが、左翼マスコミは恰も差別であるかの如く騒ぎ立てている。だが、橋下やクソ野党らの執拗な夫婦別姓推進の目的が、別姓ではなく「戸籍法廃止」に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。
夫婦別姓推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を「戦前の家父長制度の残滓」と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や「個人登録制」に改めることを求めている。こうした考えは家族制度の解体を意図していることは明白。 現在は民法と戸籍法によって婚姻のときの氏(姓)の決め方が定められている。
民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されており、夫婦何れかの「氏」を夫婦の氏とする。 この規定を大半の人は「片方が氏を変える」と理解しているが、抑々「氏(名字)は個人の名前の一部である」という誤解と勘違いが混乱を招いているのも確かだろう。
だが、戸籍でいう「氏」というものは個人を表す名称ではない。明治維新以前には武士や大店の商人以外の民には氏などない。明治維新政府は、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与えたのが始まり。
国民は皇室の家族の在り方を理想とした。 戸籍には筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、氏は個人の名前ではなく家族を表す名称ということだ。
日本人の日本人らしさの根幹を成すものが「戸籍制度」であり、個人だけでなく、親兄弟や子供といった歴史の縦軸の中に生きるという尊い制度であり、正に我が国の戸籍というのは世界に誇る制度である。
こうした問題が出ると必ず「世界ではこうだ」とか「何処何処の国では」という意見を散見する。実に胡散臭げだが、他所の国なんぞどうでもいいし、日本は日本なのだから真似する必要も無い。
「選択的夫婦別姓制度」を導入したイタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加した。北欧、フランスでも婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。
何故にこうなったのかは「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大の理由なのだが、都合の悪い話は一切聞こえて来ない。夫婦別姓に限らず、突き詰めた議論も無い中で安っぽいムードだけで、やれこれが世界の流れだとか、グローバル時代の到来だとか、マスコミの創り上げる風潮と曖昧な次元でもって賛同者が広がってる。
我が国の家族制度というのは皇室の在り方を理想とするところから発しており、正に、父母に孝に兄弟に、夫婦相和しという、我が国の優れた「家族制度」と「戸籍制度」こそ世界に普及させるべきではなかろうか。
抑々、婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが現在では一般化しており、婚姻に際し氏を変更するのも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。
「氏を変えることにより自己喪失感を覚える」という様な意見もあるが、結婚に際し夫婦が同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な日本人の感覚だろう。
別姓が導入され、別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至。
我が国は「一夫一婦制」だが、夫婦別姓になれば「一夫多妻(一婦多夫)制」が可能となる。今や婚外子が実子と同じ相続権を得られるし、成金のオッサンらは別姓という名の妾や愛人を合法的に囲えるし喜ぶかも知れないが、別姓が罷り通りれば不倫や不貞行為は当たり前の不道徳な世の中になるだろう。
我が国は天皇を族長と仰ぐ家族国家であり、この国體の精華は万邦無比である。だが、反天皇思想著しい橋下らはこうした天皇中心の日本的家族制度が我慢ならないのだ。我が国の歴史と伝統文化を否定する彼奴らの狙いは国體の破壊と皇統断絶であり、その為の一里塚が夫婦別姓運動なのだ。
日本に共産主義が入って約100年。ソ連東欧崩壊後、左翼団体はマルクスレーニン主義、や毛沢東理論、チュチュ思想といったイデオロギーを流石に言えなくなり、その「カタチ」は実に陰湿になっている。
「夫婦別姓」「選択的夫婦別姓」「男女共同参画社会」「人権擁護法案」「協働参画社会」「無防備都市宣言」「子ども権利条例」といった策謀が企画され、更には「永住外国人へ地方参政権付与」「外国人住民基本法案」「戦時性的被害者補償法案」など枚挙に暇なし。極め付けが「女性宮家」「女系天皇」である。
これら全てが唯物論やマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者とジェンダフリーを叫ぶ性的変質者み因るもの。今やその本質を理解することもなく、全国の行政へと深く入り込んでしまっている。
「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。(略)名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである(三島由紀夫)」

今正に、共産主義はカタチを変え、国民が気付かないまま行政に連結し、祖国日本を蝕み続けている。
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