「街宣右翼は朝鮮右翼」って誰が言い出したんだろう(苦笑)
- cordial8317
- 2024年4月3日
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49歳の頃、行動右翼のパイオニアである防共挺身隊の四代目総隊長に就くも前任者との活動に対する考え方の違いから諍いとなり、実態の無い執行部から除籍された。愚生はもう右翼団体員ではないし、右翼団体に対する風評など気にする必要もないのだが、正統右翼浪人の立場から右翼団体の行動を憂いている。
SNSでは相変わらず「街宣右翼は朝鮮右翼」などという妄言や罵詈雑言が目に留まる。こういうのを目にする毎に苦言を呈している。だが、ネットの偽情報に洗脳された連中というのは全く耳を貸そうともしない。
悪意的に編集された画像を鵜呑みにし、右翼を「朝鮮右翼」などと批判しているのは、左翼ではなくネット右翼や自称・愛国者らだ。「我々は右翼とは違う。真の愛国者なるぞ」と日の丸や旭日旗を掲げて悦に入る。
「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、ただ感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である(ヒトラー)」
抑々「街宣右翼」の歴史は長くはない。右翼が日本を貶めるほど影響力も無いし、そんな右翼に貶められたとしても滅びる様な日本でもない。昭和の時代に於いて日本を貶めようとしていたのは左翼団体である。
敗戦後、共産主義が国内にも入って来た。昭和30年代~50年代に、暴力革命を標榜する左翼勢力を殲滅せんと対峙していた右翼陣営を、また高度成長期に企業防衛を果たしていた右翼を、現在の風潮や価値観で「朝鮮右翼」などと揶揄し、批判するのは簡単だが、昭和時代の街宣右翼の行動の全てを断じられる謂れもない。
いつぞや、とある女性が、「愛国」を口にすると周りから「怖い」と思われるのを嘆き、要因を招いたのは「街宣右翼だ」と批判。このツイートを保守を自任する政治評論家が賛同するかの如くリツイートしてた。
右翼のイメージを「危険」だとか、「街宣右翼=悪」「街宣右翼は朝鮮右翼」などと植え付けたのは売国マスコミや珍左翼である。少なくても新橋SL広場などで街頭演説をしてた右翼団体は良識派が多い。
現在の右翼団体を全面的に擁護する気もないが、反共は当然乍ら、反資本主義や反体制という本来持つべき矜持を忘れ去り、暴力団の隠れ蓑として、単なる動員要因としての組織に堕ちたのも事実である。
GHQは占領下に於いて、「戦争を引き起こしたのは日本国内の右翼勢力だ」として、右翼団体や危険人物を公職追放し潰そうとするが、戦争が終結するとドイツと日本の防共の防波堤が崩れ、アジアや世界各地で共産党の革命や暴動が起こった。日本国内でも同様で、共産主義に与する連中が大手を振って延し歩く様になる。
第二次世界大戦下、ドイツと日本という防共の砦の崩壊に因って、ソビエト共産党(レーニン)や中華ソビエト共産党(毛沢東)、更には国内のコミュンテルン日本支部(日本共産党)など、極東やアジアで共産主義の席巻を危惧したGHQは、右翼解体の方針を転換し、右翼を「反共」に利用することにしたのだった。
戦前の右翼と戦後の右翼が全く違う存在になってしまったのは、単純に時代背景が大きい。戦前の右翼というのは国士と呼ばれ、「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは「共産主義」であろうが、「資本主義」であろうが、「民主主義」であろうが批判されるべき対象だった。
国家主義や民族主義の「ナショナリズム」や、反体制いう「反骨主義」や反資本主義という「国粋主義」も戦前の右翼はそれらを自覚し保持していた。何故ならこの三つは右翼の矜持に他ならないからだ。
三島由紀夫は嘗て、「戦後に右翼が左翼に取られたもの」として、「ナショナリズム」「反体制」「反資本主義」の三つを指摘した。悲しい哉、今やそれらの全ては右翼陣営ではなく左翼の手中に在る。
ヤクザや博徒が「仁侠道」を忘却し、暴力団化してしまったのと同じく、右翼も大義を忘れて資本主義に溺れ、金儲けに興じていれば、それこそ必要価値のないものに成り下がって行くのは必然であろう。
共産主義や共産党を始めとする左翼らを批判するのは容易いが、批判する側もまた自らが自由主義や資本主義という病魔に侵されている自覚はない。果して現在の右翼に、三島の指摘はどの様に響くのだろう。
ネット右翼や自称・愛国者らが、軽々しく日の丸や旭日旗を掲げ「反中国」や「反韓国」を叫んでいるが、「愛国」という崇高な理想が「贔屓の引き倒し」になっていることを自問自答したことはあるのか。
資金不足と指導者不足著しい右翼団体の活動が低迷してる中で、国内で蠢く国賊に天誅を与えるのは既成の右翼団体員ではなく、国を憂うる市井の民なのではなかろうかとの思いは強い。ネット右翼や自称・愛国者から、第二、第三の「建国義勇軍」や「刀剣友の会」の様に志を一にする仲間が惹起するのではあるまいか。
誰が言ったか知らないが、「働き乍ら運動をしている右翼こそがホンモノ」らしい。活動を本気でやればパクられるし、逮捕され新聞にでも載ったものなら、会社をクビになるのは間違いないだろうに(苦笑)
右翼活動に理解のある経営者がそんなにいるとは思えないし、生活に流され生業が優先されてしまう。結局は、こじんまりした、無難な、自慰的な活動くらいしか出来なくなってしまっているのではなかろうか。
いつぞや、とある活動家が、「昔の右翼は企業から金をもらったりして資金力も持ち、生活も裕福だったかも知れないが、そういうのが今では負の遺産となって真面目な若手右翼の首を絞めているという事をわかっているのだろうか」とのツイートを思い出す。「昔の右翼」というのはいつの時代を言ってるのだろうか。
「負の遺産となって若手右翼の首を絞めている」とはどういうことなのか。現在の価値観の違いといえばそれまでだろうが、物事の見方が薄っぺらで、右翼活動家として期待してただけに残念な気持ちになった。
右翼活動を維持するのは、潤沢な資金力が無ければ無理。「軍備を満たす」ことは大事。働き乍らでは自分のことだけで精一杯。革命資金の捻出など到底無理だし、逮捕されたら家族の生活は破綻するだろう。
愚生が、国粋主義者の三上卓が立派だと思うのは、思想は然ること乍ら、革命資金を調達する為に海烈号事件(「海烈号」で、総額20万ドル相当といわれた物資を香港から日本に密輸しようとした事件)に参画したことだ。結果、逮捕されたが、革命には資金確保が大難関、主義主張やキレイゴトで革命は出来ない。
立派な思想や理想を実現するには、清濁併せ吞む器量というのが求められる。働いてる右翼活動家なんてどうでも好いが、右翼の先生方の資金難は致命的といえるし、マイホーム主義じゃ革命なんぞ夢のまた夢。
高校時代、右翼団体への憧れから、いつかは愛国活動をと思っていた頃に「総会屋」にも憧れたのを思い出す。「総会屋錦城」とか、総会屋関連の本を読み耽った。右翼総会屋で有名だったのが防共挺身隊で、国士舘大学へ入学すると、工学部の先輩に防挺の人間がいて入隊。正に人生の縁とは異なもの味なものだと思う。
愚生が入隊した昭和50年代の防挺の政治献金額は、共産党、自民党、日本医師会などに続いて堂々の5位にランキングされ、常にトップテン入りしてた。潤沢な資金の下で充実且つ過激な活動が出来たのは紛れもない事実だった。企業からカネを貰ったというより、企業が右翼団体という組織力を必要としていたのだ。
昭和時代の高度成長期、企業は極左暴力集団に因るビル爆破や、「べ平連」やら「中ピ連」など左翼勢力や胡散臭げな連中が一株株主として騒いでいた時期でもあった。当時は警備会社なんてのは未だ弱弱しく、民間企業を警察が警備や警護する訳には行かず、防挺の様な行動右翼を必要としたというのが事実である。
その功罪はあろうが、企業を防衛し、国益に大きく貢献したことは認めるばきだ。その後、防挺はマスコミからは「右翼総会屋」「金権右翼」などと揶揄される様になって行った。右翼活動家よりも総会屋右翼を夢見て、総会屋での資金を右翼活動に使おうといたが、大学4年の秋に商法改正され、夢は脆くも崩れ去る(笑)
「金権右翼」に所属し乍らもその恩恵も受けることもなく、24歳で青雲の志を以て福島県郡山市に帰還。「これからの右翼は理論が大事」と団体を設立した。現在は、「理論より行動が大事だ」と痛感するに至った。
「負の遺産」とは活動資金を私的に流用し、右翼としての生き方を忘れ、安穏とした生活をしている右翼の先生方への諫言なのだろうが、そんなもので「若手右翼の首を絞めてる」などとは責任転嫁も甚だしい。
中核派などの左翼陣営は勢力拡大と資金力が増大している。男女共同参画社会の年間約10兆円と言われる膨大な予算からは相当な資金が左翼陣営に流されている。こうした現状の中で、右翼は働き乍ら何を惹起するというのだろうか。民主党政権下で菅直人が極左団体へ数億円の活動資金を寄付したのも氷山の一角。
男女共同参画予算を手始めに、SDGsやLGBTQなどを利用して補助金利権に群がっている左翼陣営は、三島由紀夫が憂いたことが現実となり、政府中枢への蚕食が成功し、祖国日本の解体は想像以上に進んでいる。
方や右翼団体は暢気なもので、小銭を貯めた諸先輩、諸先生方は居の安きに甘んじ、固定資産税の支払いに汲汲して「一日一生」とは名ばかりの状態である。「人生意気に感ず」とカッコ付け乍らタダ酒を呷るばかり。
今や右翼としての使命感は疾うの昔に忘れ去ってしまっている。安穏とした生活が蔓延してる状況下でカリスマ的右翼指導者など現れることはないし、サラリーマン右翼が世論を扇動することなど不可能なことだ。

日本人が持つべきは「愛国」ではなく「報国」である。SNSでの「街宣右翼」批判に隔靴掻痒の感は拭えない。共産主義が祖国日本を蝕み続けている中で、右翼団体を批判してるより、危機感を共有し対峙せよ!
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