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「守・破・離」の心と「一期一会」という覚悟

  • 執筆者の写真: cordial8317
    cordial8317
  • 2024年4月6日
  • 読了時間: 6分


「自分磨き」という言葉を聞く。自分を磨くというのは大事なことではあるが、それには「修業」「修行」「稽古」など必要なのは言う迄もない、中でも「修業」とは学問や技芸などを師から習い身に付けることをいう。


「修行」とは様々な経験を積む修業に拠って学んだものを、より向上させる為に肉体的、技術的、精神的に励み、磨くことをいう。「稽古」とは、「古(いにしえ)の道を考える」ということであり、師に学ぶこともなく、古の教えも知らないで「自分磨き」は出来ない。稽古の「稽」とは「考える」という意味がある。


 古書を紐解いて古人の教えを学ぶことこそが「稽古」の本来の意味であり極意でもある。茶人・千利休は「稽古」の何たるかを喝破し、「稽古とは一より習い十を知り十よりかへるもとのその一」と訓えている。


 稽古というのは師から一を習う時と、十まで習い元の一に戻って再び一を習う時とでは、人の心は全く変わっているものである。「十まで習ったからこれでよい」と思った人の進歩はそれで止まってしまい、その真意をつかむことは出来ないとの教えである。稽古に稽古を重ね、全てを知り尽くしたつもりで満足すればそれで終わり。大事なのは「もとのその一」という初心である。つまり「初心忘れるべからず」とは蓋し名言である。


「十五ヨリ三十マデ万事ヲ師ニマカスル也。三十ヨリ四十マデハ我ガ分別ヲ出ス。四十ヨリ五十マデ十年間ハ師ト西ヲ東ト違ッテスル也。其ノ内、我流ヲ出シテ上手ノ名ヲトル也。又、五十ヨリ六十マデ十年ノ間ハ師ノ如クスル也。名人ノ所作ヲ万手本ニスル也。七十ニシテ宗易ノ今ノ茶湯ノ風体、名人ノ他ハ無用也」


 上の教えは茶人・山内宗二の「茶湯年来稽古」。「15歳から30歳迄は師の教えを忠実に守りことが大事であるということ。30歳からは自分なりに思索し、自分の思う儘にやってみること。40歳からは師の教えとは逆にやってみる必要があるということ。50歳からは所作などを師の如く振る舞うことで己も名人の域になれる」


 この教えの基となっているのが、宗二の師である千利休の「守・破・離」の心である。武道や芸事の世界ではこの「守・破・離」の意味を重視する。つまり、伝統を重んじる武道や芸事とあろうと、単に古の教えや伝統だけを守り伝えようとするだけでは、結局のところ伝統そのものを守れなくなってしまうということでもある。


「守」とは「修める」こと。師の教えや古からの教えを学び、修行に拠って技芸を身に付けること。


「破」とは今迄の既存の概念や枠組み、秩序を破壊してみること。要は、固定観念を棄てること。


「離」とは既存の教えから離れ、自分で思索して自身の型を創造してみること。この発想が未来に繋がる。 


 武道でもそうだが、現在に伝えられてることは、古より先人が失敗に失敗を積み重ねた中で、思索して厳選して遺したことでもある。こうした先人の当時の悩みや困難を少しも考えずに学ぶということは、大きな失敗もせずに近道で辿り着こうとしているということでもある。そんな楽な修行で好い筈があるまい。


 況してや師の教えだけ学んだところで、師や先人が辿り着いた処からは先へ進むことは出来ない。ここで初めて「破」と「離」が必要となってくる。「温故知新」という言葉があるが、古きを訪ねて新しきを知るには、やはりそこから突き抜ける努力が必要となる。固定観念を捨てて、自己流を取り入れる。


 伝統に学ぶことは当然のことである。先人からの伝統や根本的な精神を後世に存続させて行くには、そこに新しい息吹を注入する必要がある。現代に新しい息吹を入れることで伝統が再生し、更なる伝統となって受け継がれて行くのである。伊勢神宮の遷宮である「床若(とこわか)」という教えが、正にそれである。


 唯、闇雲に新しいことをやれば好いというものでもなく、古に学び、習得し、それを確り護るというのが大事。武道や芸事に限らず、何事も確りした土台がなければ、伝統を後世に存続させて行くことは出来ない。


 現在の我が国の政治に欠けているのも古の教えであり、安倍を筆頭に未来志向の新自由主義者ばかり。国家というのは未来が全てではなく、過去を振り返り、そこから学び、未来に生かすことこそ大事である。


 正統の保守主義者に於いて、時間を体験する仕方というものは、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見に拠って未来を創造して行くものである。我が国の自称・保守派の過去というのは精々戦前まで。だから、国家観が安っぽくなってしまう。我が国の保守派に足らないのは正に守破離の教えである。 

 余談だが、千利休は豊臣秀吉の逆鱗に触れ死罪となったが、弟子の山上宗二も同じく秀吉の怒りに触れて、追放された後に悲惨な死を遂げている。茶会の席で戦の手柄を自慢げに語る秀吉に宗二は徐にこう語る。


「我仏(わがほとけ)、隣の宝、婿舅、天下の軍(いくさ)、人の善悪(よしあし)」


 その意味は、人の集まるところでは口にしてはならぬ話題であり、茶道に於ける厳しい約束事の一つでもある。この言葉を宗二は、二度繰り返す。宗二のこの諫言が秀吉の逆鱗に触れることになるが、諫言するに当って死罪も厭しがることもなく、その罰をも諒とする宗二の覚悟と潔さは凡人には分かるまい。


 諫言とは斯く在るべきであり、愚生もそうだが、相手を批判し、苦言を呈するのも結構だが、己の発した言葉にもまた責任と覚悟が必要だということだろう。千利休や山上宗二ら茶人というのは、反骨精神に溢れた人物が多いのは、茶道の「一期一会」の覚悟こそがそうさせるのだろう。茶道でいう「一期一会」とは、「この年、この月、この日の茶事は生涯この一度限り」という教えであり、この覚悟こそが茶湯の根本でもある。


「一期一会」という言葉は知っていても、本当の意味も、その言葉に込められた覚悟も理解している人は少ないのではなかろうか。大老・井伊直弼が記したとされる「茶湯一会集」には次の言葉が書かれている。


「抑茶湯の交会は、一期一会といひて、たとへば幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の会なり、去るにより、主人は万事に心を配り、聊かも麁末(そまつ)なきやう深切実意を尽し、客にも比会に又逢へがたき事を弁え、亭主の趣向何一つおろかならるを感心し、実意を以て交るべきなり、是を一期一会という」。今の一瞬は一生涯で一度限り、覚悟して事に臨めということ。


 右翼のカリスマ・野村秋介は「美は一度限り」と言った。この喩えは正に「一期一会」と通ずる覚悟であり、野村秋介の生き様の淵源はこうした教えに在るのではなかろうか。我が国の偉人の覚悟を持つことは凡人の愚生には到底無理なことだが、せめて人生意気に感じ、人との出会い、邂逅を大切に生きて行きたいものである。


 ザ・右翼ジャーナル社々主 佐久間五郎

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