郡山市の不動産屋「東日本地所」武田博志社長の守銭奴ぶり(嗤)
- cordial8317
- 2024年4月6日
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画像は、郡山市桜通りのホテルハマツ前に在るビル。所有は「東日本地所」という不動産屋。社長は武田博志。自社は最上階に在り、1階は福島銀行さくら通出張所。
地元経済界の重鎮、故大高善兵衛を始め、南東北病院の渡辺一夫院長など多くの経済人を取り込み、若手実業家として名を馳せたその武田も還暦を過ぎた。
そんな昵懇の経済人から都市計画の情報を得て、その周辺の土地を格安で土地を入手しては、開発が進むと一気に土地価格が高騰し利益を得るのというのが常套手段。やり手と言えばやり手だが、単なる金銭欲逞しい守銭奴というのが正しい(笑)
過日、知らない番号から携帯に着信。出てみれば同郷の後輩が神妙な様子。聞けば何やら市内清水台の自宅兼歯科医の立ち退き絡みで武田が頻繁に顔を出すという。
この東日本地所の武田ってのはどんな人物で、どんな不動産屋なのか知ってますか?」という相談事というか問い合わせ。ん~電話で済ませ様などとは10年早いというか、ナメてるというか、まぁ、差し迫ってはいないということだろう(笑)
ホテル・ハマツ前に在る不動産屋「東日本地所」、昔は「東日本ハウジングローン」という名称で不動産業と金貸しを兼業していた悪徳不動産。当時からこうした融資は違法だったが、流石に今では宅建業法違反でもある金貸しはやってはいない。
武田は大越町(現・田村市)出身。一見すると人当たりのイイ、腰の低そうな人物なのだが、どっこい、金儲けには手段を選ばない。義理も人情の欠片もなく、掌を反すのは朝飯前。最近ではその強欲ぶりも益々磨きがかかっているというから流石。
最近では福島県知事汚職事件の裁判で佐藤栄佐久側の証人となり、「水谷建設が三東スーツ側から買った1億円は相場の価格でした」と証言したことは記憶に新しい。
福島県知事汚職事件で暗躍した辻政雄が検事側証人になり、武田が弁護側。栄佐久にしろ、実弟の祐二にしろ、まぁ悪いヤツというのはやっぱり繋がってるもんだね(笑)
その昔、市内細沼町に在る「鮨屋だるま(店主・川又栄三)」夫婦もこの武田に騙され、神妙な顔つきで愚生の下を訪れたことがあった。川又店主というか栄三君とは同郷。聞けば聞くほど武田のその悪辣ぶりに怒りが込み上げたことを思い出す。
また同じく細沼で営業している河豚の名店「きくち」も武田に騙された一人だ。以前は虎丸で小さな割烹を営んでいたが移転し数寄屋造りの豪華な店を開いた。
鮨家だるまを騙した手口はこうだ。福島銀行の支店長だった石井道夫を送り込み、先ずは常連客になる。店主らと親しくなった石井は「これだけいい腕があるんだからもっと大きな店を出しませんか。うちの銀行から1億円融資しますよ」と持ち掛ける。
寿司職人としての腕を認められたと勘違いした川又夫婦は有頂天になった。そこで石井は作戦を次に進める為に、東日本地所の武田を紹介し、計画を前に進めて行く。
武田は新しい店舗の図面などを見せ、夢を語り、こう語り掛ける。「どうせあるならこんな店にしませんか?でも、5000万ほど多くなってしまうんですが・・・」
所詮は寿司職人ということでビジネスのことなんて素人。「まぁ1億円も1億5000万円も大して変わりは無いので」と1億5000万円の店を持てるという夢を膨らませて行った。そこに石井支店長が登場し「いや、ウチでは1億円が限度」と融資を断る。
店主らは思わぬ計画の頓挫に唖然とするも、そこで武田が救いの手を出す。「銀行の利息よりはチョッと高いですが、うちで融資しますよ」と安心させ契約を結んだ。
店舗が出来上がり営業再開。武田は徐に「うちも不動産屋ですので、5年間は賃貸でお願いします」。武田に世話になったと思っている栄三君らは疑いもせずに賃貸契約。武田は契約書とは別に「覚書」を持参し、川又夫婦を信用させることに成功。
その覚書には「5年後に名義変更をします」と記してあった。契約後、「鮨家だるま」は家賃として150万円、補償金1億円分の利息として100万円、月250万円をコツコツと支払った。月250万円×12=3000万円を5年だから合計1億5000万円となる。
6年目からは、愈々自分らの名義になるのかと思いきや、武田は掌を反し居直った。「覚書より契約書が優先されるのは知ってますよね。覚書は法的に意味はない!」と突っぱね、家賃支払いの継続と、更に「補償金1億円」を即刻支払いを要求した。
この儘では5年間の支払いが無駄になるばかりか、差し押さえされ立ち退きを要求されるのは必至。「きくち」は嫁の実家の土地を売り清算したというが、資産も不動産も無い「鮨家だるま」にとって補償金1奥円の支払いはそう簡単ではなかった。
夜逃げまで考えた川又夫婦が愚生の処に相談に来たのは、鮨家だるまを新築してから7年ほど経ってからだ。要は、契約履行後、2年間もの間、250万円、約6000万円を支払い続けた。つまり、2億1000万円を支払っても自分のものには成らなかった。
幼馴染みとして、武田の行為に我慢ならず面会を申し入れるも拒否された。ならばと武田の悪漢ぶりと経緯を書いたビラを作り、武田の関係先にばら撒き、宣伝車を繰り出し、武田の行状を糾弾した。そして間もなく、鮨家だるまの真向かいに住む「ゼビオ」の諸橋延蔵社長が間に入り、どうにか東日本地所との和解することになった。
「右翼の街宣を止めさせる」というのが和解の条件。そして、武田の2億5000万円の要求が約半分となり、だるま名義となった。愚生の下に来た栄三君は、「本当に世話になった。今はカネが無いので少ないが」と謝礼金の入った手土産を渡された。
その後、諸橋社長と愚生が会う約束をしたのだが、諸橋社長は酔っぱらってハワイのコンドミニアムから墜落死した。諸橋社長のこの死にも疑惑は尽きない。転落死した際には、石井道夫と「皆川ガラス」の女性社長(当時)がコンドミニアムに同宿していたというのだ。何故に石井と皆川なのか、何故に転落したのか疑問ばかり。
転落死には不審な点は多かった。その経緯を以前、丹治一郎(郡山商工界会頭)に聴いたことがあった。すると「あの日はラーメン屋(幸楽苑新井田傳社長)の上場を祝うというので仲間で呑んでたんだよ」と言い、笑い乍らこう教えてくれた。
「あのマンションはオレも泊ったことがあるんだが、窓とベッドが同じ高さがあり、窓との隙間も余りなくて危ないんだよ。諸橋さんは、夜中、酔っぱらうと窓から立ちしょんするクセがあって、恐らく、間違って落ちてしまったんだろうな・・・」。ならば石井らもそんな諸橋社長の行儀の悪さを知ってただろうし、未必の故意を疑った(笑)
久しぶりに後輩からの電話で武田博志の名前を聞き、色々と思い出した。これも腐れ縁というものか。否、天網恢恢疎にして漏らさずとはこういうことか。呵呵。
汚れた顔の紳士達作成委員会 編集主幹・佐久間五郎 2014年10月11日記
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