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波瀾万丈の天才ボクサー・辰吉丈一郎に見るプロとしての生き様に学ぶ

  • 執筆者の写真: cordial8317
    cordial8317
  • 2024年4月5日
  • 読了時間: 4分


 波瀾万丈の天才ボクサー・辰吉丈一郎の20年を追う「ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年」というドキュメンタリー映画がある。現役であり続ける辰吉のボクシング論や、父子の関係、家族への思いが、辰吉自身の言葉によって語られている。


 原則的に日本人ボクサーの定年は37歳。現役に拘る辰吉の思いと魅力が引き出されて行く。この映画について、以前、辰吉が雑誌のインタビューに応えていた。


 -現在の収入は?-


「まったくない。無収入」


 -無収入? 生活は?-


「いうても僕、3回も世界チャンピオンになってますから(笑)。ファイトマネーを無駄遣いしてこなかったし、リングに立って稼いでいる訳ではない以上は、貯金を下ろして生活するしかないでしょ?」


 -過去には、数千万単位のCM出演を断ったとの伝説もありますが-


「うん。だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで」


「ボクサーがCMって違うと思うんで。小銭ならいいですよ、でも、何千万というお金を稼いではダメだと思った」


 -後悔は?-


「一切ない」


 テレビのバラエティー番組には、プロスポーツ選手や人気力士らが出演し、CMにも登場するのは当たり前の時代にあって、「だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで」とは中々言えた言葉ではない。これぞプロ中のプロだと思う。


 自分の夢を捨て、目先のカネに飛び付いて、本業ではない仕事で食えることを優先するというのはプロとしての覚悟が乏しい証拠である。インタビューは続く。


 -世間からは『もう十分だろ』との声も届いていると思うのですが?-


「紛いものというのか、捻くれているというのか。デビューの頃から僕は、普通が嫌やったんですよ」と応えている。これぞホンモノ、プロ中のプロである。


「普通が嫌だった」という反骨精神と男の痩せ我慢は、愚生も大いに共感出来る。ボクサーだろうが、サラリーマンだろうが、右翼だろうが、乞食だろうが、どんな仕事に就いて様が、あっちにコロコロ、こっちにコロコロと要領好く生きているヤツよりも、愚生はこうした自分の生き方に信念のある削げ者が好きだ。


 自分のやりたい夢があるのに、直ぐに諦めて、「生活に困窮したから」と、或いは分不相応な生活を望んで、目先の「食える」職業を選択してしまう。


「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うなら、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練に耐え、必死に努力すれば好いが、今の時代、アルバイト程度で食えてしまうから始末が悪い。 こんなことではプロやホンモノは育たない。


 目先の仕事にあり付いて、食えることを優先するというのは、それは単なる自分自身への誤魔化しであり、畢竟、プロやホンモノへの侮辱でもある。


 愚生が右翼に入った昭和50年代というのは暴走族上がりが多く、「右翼ブーム」の時代でもあった。愚生も30年活動して来た中で何百何千の右翼を見て来たが、殆ど残ることはなく、若い頃の熱が醒めると去って行き、残ったのはホンの僅か。


 その残った者がホンモノかというとそうでもない。最近は「愛国ブーム」というか、ネット右翼と称される連中が多くなり、在特会や主権回復を目指す会、行動する保守活動など活躍してるし、日本第一党が保守政党に名乗りを上げる。


 ブームが好いことなのか、悪いかは分からないが、右翼と自称・愛国者のボーダーラインが無くなったのは確か。ネット右翼ブームに比例して右翼団体の活動は低迷の一途。怖さが無くなり、何より牙がなくなったのが右翼凋落の一因である。


 今の保守ブームが去れば、自称・愛国者らも去って行くのは明らか。結局はどの世界もホンモノとホンモノのぶつかり合い。大衆はどちらにも動くし、大衆の意見というのはそういうもの。ホンモノのリーダーの出現を待望して止まない。


 その昔、横山武彦という破天荒な右翼人がいた。歳は二回りも上だったが妙に馬が合った。横山曰く「乞食でもホンモノは信用できる」と語ったのを思い出す。何事に於いても中途半端がダメ。道は山あり谷あり、挫折を繰り返し乍ら前進せよ!


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