「悲憤慟哭民族痛恨日」昭和20年8月9日を忘れるな!
- cordial8317
- 2024年8月9日
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毎年、8月の声を聞くと「平和屋」が蠢き出し、6日の広島、9日の長崎と原爆が投下された日に焦点を合わせ、ここを舞台に「原水爆禁止世界大会」なるものが開催される。
世界から核兵器が無くなることに越したことはないが、現実的には不可能なことであって、況してや核兵器も保持していない日本国内で「核兵器反対!」なんぞ訴えても何の意味はない。
この原水爆禁止運動というのは、「核兵器を無くそう」という純然たる市民の署名活動から始まったものだ。この署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目を付けた日本社会党(現社民党など)と日本共産党が割り込みを図り、左翼イデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまう。
それが社民党・民進党系の「原水禁」と、共産党系の「原水協」である。こうした分裂は「日教組」と「全教」に分断した構図と同じだが、こうしたことだけでも連中に「平和」など口にする資格はない。
連中の目的は「平和」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけの「反米活動」であり、彼らは平和主義によって平和という現実や効果を求めているのではなく、その目的は別に在る。
その目的を達成する上で「平和」という言葉こそが最も効果的な武器であり、彼らのその目的とは言うまでもなく、革命謀略運動であり我が国の歴史と伝統、文化を否定し国柄を破壊することに在る。
米国の民間人の大量虐殺である原爆投下や無差別爆撃の批判はあって当然のことだが、連中は原爆投下をしたのが米国だから、これを執拗に取り上げて、その古傷を暴いて日本国民の反米感情を煽り、日米離間を謀ると共に、党勢拡大と革命謀略に国民の安易で安直な平和主義を利用しているだけに過ぎない。
米軍の蛮行を詰るなら、ソ連(ロシア)であったらどうなのか。昭和31(1956)年、日本共産党中央委員会宣伝教育調査部編集の「日本共産党の政策」の中で次の様な一文が掲げられている。
「ソヴエトは終戦間際に参戦して火事ドロ式にうまいことをやったという人がいますが、ソヴエトが参戦したため、平和が回復され、日本が焦土とならずにすんだのです・・・」
この思想的次元、この発想が日本共産党の本質を露呈している。そのソ連の参戦こそが大問題ではないか。「ソ連が参戦したから日本が焦土とならずに平和が齎された」という認識は正に同じ穴の狢。
平和屋らは米国の原爆投下を執拗に糾弾する。原爆投下を直ちに是認出来るものではないが、米国と我が国とは国の威信と生死を賭けて戦っていたのであり、新しい兵器の開発と使用に三分の理を認めざるを得ない。
然るにソ連はどうか。長崎に原爆投下される昭和20年8月9日未明、旧ソ連はヤルタ会談での米英との秘密協定を忠実に果し、国際法規である「日ソ中立条約」を蹂躙し満州と北方領土に攻め入った。
領土の保全と不可侵、そして互いの中立と不可侵が固く約束されていたにも拘らず、ソ連は条約を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始する。日本人同胞の虐殺や強姦、略奪、更には我が国固有の領土である、南樺太、全千島列島、北方四島がこの日を以て強奪されるに至るのである。
このソ連の蛮行に対し、政府もマスコミも平和屋も未だにロシアに対して旧ソ連の蛮行を責めたことはない。この何処が「平和団体」か。「原水爆禁止世界大会」という仰々しい名前の大会を主宰する「原水協」や「原水禁」ら、似非「平和屋」は原爆投下は執拗に糾弾すれども、ソ連の蛮行には沈黙を続ける。
連中は、原爆を投下したのが米国だからこそ、執拗にこの原爆投下という古傷を暴き、反米感情を煽って日米離間を謀り、加えて「平和」や「核兵器廃絶」を党勢拡大に利用しているだけに過ぎない。
それでも彼らが厚顔にも「平和団体」を自任するならば、米国や国内だけではなく、ロシアや中国共産党に対しても、或いは北朝鮮を始めとする世界の核保有国にも物申すべきではないのか。
鬼畜の如き蛮行で亡くなった同胞は、広島・長崎の原爆投下で亡くなった方々を遥かに超える。不当に酷寒のシベリヤの地に抑留され、寒さや飢えで亡くなった方も数え切れない。ソ連軍の残虐非道、鬼畜の行為は終戦後も収まることはなく、樺太では約5700名の軍人や民間人が犠牲となった。
ポツダム宣言受諾後の20日には、樺太真岡郵便局の女子郵便局員伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。
南樺太でのソ連兵による鬼畜の如き残虐行為の一部が、外務省の外交文書に、生々しく書かれている。
「ソ連兵は、30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし、邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・。ソ連進駐と共に市街の様は一変し、ソ連兵市内を横行し略奪を縦(ほしいまま)にして、9月1日女32名を監禁し、若き娘は毎日14、5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し、然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」
千島列島最北端の占守島では、8月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸する。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。
三日間の戦闘で日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日。だが、その後、占守島の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。
シベリアに抑留された日本人は約60万人と言われているが、これは軍属だけの数字であって、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料に拠れば約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、未だ我が国政府は情けないことに、こうした問題を世界の国々に提起し、その真相を明らかにしようともしない。
大東亜戦争を戦った英霊は東京裁判を始め、外国の地に於いては弁護する機会も与えられず、一審即結審という復讐という名の茶番劇で不当に処刑された。然し乍ら、米国の原爆投下と東京大空襲を始めとした無差別爆撃、そしてソ連の卑劣極まる蛮行こそ「平和に対する罪」であり「人道に対する罪」であろう。
正しく我が国にとって8月9日とは、悲憤慟哭民族痛恨の日であることを決して忘れてはならない。
ザ・右翼ジャーナル社々主 佐久間五郎
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