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日本人が持つべきは報国であり愛国心より大和の心(大和魂)である

  • 執筆者の写真: cordial8317
    cordial8317
  • 2024年5月24日
  • 読了時間: 3分

 拙ブログ「爆ちゃん吼える」の冒頭には、昭和天皇に論語の「漢籍」の進講をされた、戦前の日本を代表する倫理哲学者・哲学者・西晋一郎の言葉を記している。


「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」。「国に忠」と「親に孝」の二つを離れては、人類愛も、平和主義も、憲法論議も空理空論どころか、ただの「空想」「妄想」に過ぎないということである。


 左翼勢力が頻りに「平和」を訴え、「正義」を標榜しようが、「国に忠」という感情が決定的に欠落している故に、まともな国民には受け容れられることはない。


 我が国は、2700年もの歴史が続く君主国家であり、そして神武建国の理念とは、「八紘をおおいて一宇となす」という家族国家の形成に在る。 「日本を再生する」ということは、欧米の様な国になることではない。そういう意味では、明治維新は、「維新」とは名ばかりで、その実は西洋文明を模倣した改革に過ぎなかった。


 戦後体制を見直すことは喫緊の課題であることに間違いないが、明治維新後に長州閥が行った施策の多くを検証する必要もあろう。「日本を再生する」「日本を取り戻す」とは、その原点である「日本の背骨」を取り戻すということである。


「日本の背骨とは何か」といえば、祖国日本に生まれた日本人として生きて行く上で大切な精神である。それはつまり、「国家への忠誠心」と「親への孝養」であり、西晋一郎の教えの通り、正に「君国に忠」「親に孝」ということに尽きる。


 我が国は天皇(君)を頂く家族国家であり、その国體の精華は万邦無比である。全ての日本人が陛下の下に一つとなって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統を重んじ(親)、父祖に恥じない生き方を実現する(孝)、ということである。


「愛国とは人性(じんせい)の至誠なり」とは内村鑑三だったか。「愛国心」なんていうものは人が生まれつき持ってるもので殊更ひけらかすものではない。何故なら、民族の将来と祖国の将来を憂うる行為は最も真剣なる感情であるのだから。


 日本では何故か「愛国」だとか「愛国心」などと口に出すものなら「右翼」や「反動」と非難される。「右翼」という言葉には悪意が感じられ、愛国者を「右翼」と蔑むことに由って国家と国民の離反を目論んだマスコミの成果でもある。


 日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として「愛国心」は最も相応しい言葉だと思うが、アドルフ・ヒトラーは「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」と訓えていることに括目する。


 愛国心を育むことは大事なことではあるが強制することでもない。奇跡の国である日本に生まれた喜びと、先人の歴史と営為に学び現代にそれを活かすことこそ大事である。それには愛国よりも「報国」こそ方が大事であると思っている。


 日本人が持つべきは報国であり、愛国心より大和の心(大和魂)である。つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず、調和して暮す従順な心を育むことである。愛国心より、先ずは国の成り立ちを教え、大和心を涵養すべし。


 西晋一郎は、「人は教えによって人であり、教は国があって行われ、国は歴史があって存立する。人と教と国と歴史は一環状をなし、其の実一である。若し四者が連貫を失ったならば、人は真に人でなく、教は真に教でなく、国は真に国をなさず、歴史というものから断絶される」と、教育の重要さを分かり易く訓えている。


 教育と国の歴史は繋がっており、国の歴史を軽んじることは、国家としての未来を放棄したも同然である。人もまた、教え学ぶことを忘れてはならない。それは単に自分の為だけではなく、連綿と続くであろう子供達の為でもあるからだ。

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