教科書から消えるという坂本龍馬だがその行動から学ぶものは多い
- cordial8317
- 2024年4月8日
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以前から指摘されてたところであるが、坂本龍馬が教科書から消えるという記事をSNS目にした。龍馬の功績と言われているものは、司馬遼太郎の長編時代小説「龍馬がゆく」に拠るところが大きく、実にその95%が嘘や虚飾であるという。
坂本龍馬は、幕末にはそれほど有名な人物ではなかったという。維新後、数十年が経ち、四国の新聞に「坂本龍馬特集」が連載された。龍馬のその生き様が日本人の嗜好に合致し、人気に火を点け全国に拡がったというのが真相と言われている。
龍馬暗殺の謎についてよく「北辰一刀流免許皆伝の龍馬を一刀両断するとは」とか「龍馬はピストルを持っていたのに一発も発砲されていないのは何故か」「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」などと語られている様に謎は多い。
こうした暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、またドラ小説やドラマなどで想像・脚色され、龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されていったのではなかろうか。
坂本龍馬暗殺の実行犯説は、歴史家に拠ってその意見は様々であるが、大凡、「京都見廻組」と「新撰組」説に分かれている。「京都見廻組説」では、元隊士だった今井信郎と渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げている。
「新撰組説」では、刺客が「こなくそ」という伊予弁を使ってたされており、伊予出身の原田左之助刀の鞘や隊士の下駄が近江屋に残されていたと言われている。「こなくそ」説は、西軍の谷干城(たに たてき / かんじょう)の独り言に過ぎない。
龍馬は贔屓の近江屋に、脱出することが出来る隠れ家を土蔵に造っていたとされている。暗殺された日は、風邪で龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で、好物の京都「鳥彌三」の鶏の水炊きを食らい乍ら歓談していた。
部屋には二人の他に、龍馬の護衛でもある元・力士の山田藤吉。そこに南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。山田がその客人らを疑わずに通した。
部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬も殺されている。ドラマなどで仄聞されている様な「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という台詞を吐く間もなかったであろう即死に近く、中岡はこの襲撃からニ日後に亡くなっている
龍馬は北辰一刀流の免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流の「長刀」、つまりは「薙刀」の名手で剣術ではない。西洋流砲術も学びはしたが、実際には剣の腕前はそれほどではなかったというのが真実だろう。
冒頭の龍馬の有名な画像を見ても分かるが、拳銃を懐に仕舞っているという立つ姿だが、刀がだらしなく下げられている。どう見ても剣術の達人には見えない。
「寺田屋事件」で龍馬は短銃で応戦はしたとされてるが、弾丸が切れたにも拘らず刀で応戦せず、不様に短銃を振り回して、両手に数か所の深手を負った。こうしたことをしても、龍馬は北辰一刀流剣術免許皆伝の応対とはとても思えはない。
寺田屋事件での傷を癒す為に妻のお龍さんと共に薩摩の温泉に行くのだが、歴史的にはこれが新婚旅行の最初とされている。だが、これもまた根拠の無いもので、薩摩の家老・小松帯刀がそれより十年程早く、霧島へ新婚旅行へ行ってるそうだ。
歴史が物語として語られる時は、必ずしもその人物の真実を伝えているとは限らない。書き手の主観が入ったり、読み方一つでその生き様や歴史も変わってしまうもの。坂本龍馬が歴史教科書から消えるというのは何となく分かる気がする。
坂本龍馬こそが幕末の薩長連合の立役者と持て囃され、暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、また想像されて龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されて行った。そんな龍馬とは何者だったのか。龍馬とは、分かり易く言えば武器商人に他ならない。
そんな龍馬から学ぶものは、幕閣とも勤王の志士とも通じ、薩長連合の仕掛け人足り得たのは説得の技術、つまりは話す言葉がズバ抜けていたことだろう。
幕藩体制下に於いて「横議横行」を勧め、「脱藩せよ!」と叫んだのが吉田松陰だが、その「横議横行」を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。
「横議横行」とは、自由気儘に各地を歩き回り、出合った人達と大いに議論し語り明かすことだが、幕藩体制下では藩の領地から出ることさえ儘ならなかった。
明治維新は、こうした幕藩体制の陋習を、龍馬を始めとした草莽の志士らが打ち破り、横議横行の実践したことに拠るものだと言っても過言ではない。坂本龍馬が靖國神社に祀られてるのは、幕末の志士らと大いに天下国家を語り合ったからだ。
大衆の心を引き付けるのは自ら発する「言葉」を以て他に無い。龍馬は正に「言葉の達人」だったのではあるまいか。更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚くほどの距離を行き来している。
多くの人と顔を突き合わせ話し合い、一献を傾けて打ち解ける。こうした出会いと邂逅こそが自己確立に繋がり、延いては混濁した時代をも変える原動力となる。
「袖する合うも他生の縁」と言う様に、思想信条が違えども遠慮することはない。どんな相手でも必ず共通の話題があるもの。共通の話題がないということは、人生経験が少なく視野が狭い証でもある。雑駁でも色々な知識を身に付けるべきだ。
別に難しいことなんぞ話題にせずとも、スケベなことや趣味など、あり触れた日常から感化しオルグすることだ。そこで、場数という人生経験がものを言う(笑)
オルグとは左翼の専売特許でもあるが、右翼人や保守派に足りないものは、こうしたオルグ(大衆運動)である。今どきの右翼は仲良しクラブの様なもので仲間と盛り上がるが、仲間の拙い点を見ても見て見ぬ振りをするのは如何なものか。
誰かの請け売りの下手くそな演説なんぞオナニーの様なもので、身内さえも感化されることはない。それより、近所の焼き鳥屋などで隣り合わせた人と語ってみることだ。そうした対話が思想形成に役に立つ。横議横行するべし。呵呵。
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