top of page

実践の伴わない道徳教育より「神道」という随神の道を教えよ!

  • 執筆者の写真: cordial8317
    cordial8317
  • 2024年4月5日
  • 読了時間: 4分


 全国に神社は沢山在るが、祀られてる神様とは何か、神道とは何かを知る人は少ない。当り前に存在しているものとだけしか受け止めてはいない。その神道の祭祀を斎行する天皇という存在も同じで、「現神(あきつかみ)」としての天皇とは何か、祭祀とは何故に重要かということを教わることも、知ろうともしない。


 天皇とは祭主であり、我が国の教えである神道に於ける最高の地位であるが、現憲法下では国事行為を行う政府の都合の好い傀儡とされてしまった。


 神社というのは近所に当り前に在って、祭りがあるからイベント的に愉しもうというだけで、そこには神への感謝の気持ちは持ち合わせてはいない。


 当たり前の様に存在している神社にどんな神様が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少なく、またそれを教えるべき者もいない。


 戦後、住民と神社(神道)との分断を謀ろうと各地に集会所なるものが建設された。戦前は住民の会合などは神社の境内で行われることが多かったが、戦後は集会所で行われることとなり住民と神社との距離が遠いものになってしまった。


 こうしたこもGHQが謀った戦後占領政策の一環である「神道指令」に因る弊害である。氏子や住民は祭りでは盛り上がるが、その神社の祭主の何たるかを、また神道とは何かという日本人としての根本の教えを理解することはない。


 自然は、人智の及ばない大いなる存在である。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに先人は共生することを選んだ。


 そして我々もその先人の道を歩んできた。自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を与えたりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。


 人々は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来た。


 新羅万象の全てが「神」の姿として現れる。山の神、海の神、或いは森、林、川、河、泉、湖、石ころや水・・・、全てのカタチある物やそして人さえも、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神なのである。


 我が国の固有の信仰でもある「神道」とは、こうした世界の中から生まれたものだ。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。


 人は彼等の暮らす土地の神「産土神(うぶすながみ)」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。


 民衆レベルの神々の世界は、この様な意味付けを必要としないまでも、自然に体現し「神」を感じとっていた。こうした神々の世界に、天上界の別格の神々の世界「高天原(タカアマハラ、タカアマノハラ、タカノアマハラ、、タカマノハラ、タカマガハラ )」が重ねられたのは、天皇による国家統一以降のことである。


「高天原」とは、自然信仰の観念に重ねられた神々の天上世界。天に固有の住居を持つ神々は、高天原で育てた稲(ユニワノイナホ)をその苗裔に授けるという神話に由って、この国の神々の世界に革新を齎した。地上の王権は高天原の神々の苗裔である天皇の支配となり、地上に住居を持つ国津神(クニツカミ)は高天原に住む天津神(アマツカミ)の支配下に入った。「神祇(ジンギ)」の世界の誕生である。


 高天原というのは、神道の中に生じた垂直思考の産物であるが、民衆レベルでは、自然と共にある神は、何処まで行っても水平に広がる世界だった。太陽の昇る東の方位には「命の源の世界」が在り、日の沈む西の果てには「死の世界」が在った。


 この水平に広がる生と死の世界に、高天原という垂直の軸が導入されることに拠って、世界はその頭上に「高天原」として、高天原の下には水平に広がる「中津国(ナカツクニ)」と「海神(ワタツミ)の世界」として、そして彼の世である「黄泉の国(ヨミノクニ)」という三層構造が完備されることになったのである。


「古事記」や「日本書記」では、これらの世界が全て「高天原」の支配下に入るように神話を整え、高天原は天照大御神が支配した。我が国の最高神である。


 中津国は、その苗裔である天皇(スメラギ、スメラミコト)の支配領と定めた。海は素戔男尊(スサノオ)、ないし月読尊(ツキヨミノミコト)、或いは神武天皇の兄である稲氷命(イナビノミコト)の支配下に入り、黄泉の国は、やはり天津国である伊弉諾(イザナギ)とその息子である素戔男尊の世界となった。 


「高天原」の登場に由って「神道」は原始宗教の一形態(シャーマニズム)から、固有の神々の世界と信仰が生まれていったのである。正に日本は神の国である。


 古の人々は、神々の世界に対し自然に体現することで、「神の存在」を感じとっていたのだろうと推測する。戦後の日本人はGHQの洗脳に陥り、神道の教えを知らなさ過ぎる。実践の伴わない道徳教育より、神道という「随神の道」を教えよ。

1 Comment


ichihaya.keiziban
Apr 06, 2024

「神道」ではないが、「神農道」と云う言葉がある。古来中国の言葉と云われているが、一般的に云うとテキ屋(香具師)が重んじる神の道ともいうべきだろうか。いわゆる字のごとく農産物などの今風で云うのなら地産地消とでも云うのだろうが、物のない時代に物々交換で始まったとするのが市の始まりであり、戦後の闇市などもその原型の流れである。

この物々交換からに始まり、その原型を作った神様としてテキ屋が崇めて神農道としたのが始まりとされている。一方博徒は侠客と云われ「任侠道」などと云われていたが、いずれも神を崇拝すると云うのが原点であった。今ではその原型も崩壊し、暴力団と呼ばれるに過ぎない集団となってしまったが、もともとの親分衆にも厳格に重んじる人もいただろう。

神は居るの居ないのと云う前に、人それぞれが自分自身で思う心の中に存在するのが神であろうかと思うところだ。

時代の流れで神が存在しないとなれば元々居ないのであって、自分の心で神を敬うと云う気持ちが神の存在なのだろうと思うところだ。

Like

佐久間五郎OFFICIAL SITE

  • Instagram
  • Facebook
  • Twitter
  • YouTube

Copyright©2024 goro-sakuma..All rights reserved.

bottom of page