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フィクサーを気取ったゴロツキ右翼や金権右翼も歌心のない乞食右翼も全て右翼

  • 執筆者の写真: cordial8317
    cordial8317
  • 2024年4月3日
  • 読了時間: 4分



右翼が、国家社会主義、農本主義、純正日本主義などの思想を基に活動したのは遠い昔の話で、今はそうした国粋主義的な思想も無ければ、政治に対しての認識や危機感にしても所謂「ネット右翼」と揶揄されている連中の方が長けている。


 だが、そんな右翼にも悲観はしていない。人生、好い時もあれば悪い時もあるもので、女に本気で惚れて騙されたり、金儲けに奔ったりする時期もあるだろう。その方が人間味があって右翼らしい。どんな生き様をしてようがホンモノは残る。


 街宣車を持っている者は、それを大いに利用して街頭演説で啓蒙したり、営利を貪る悪徳資本家共を糾弾するのも好いだろう。宣伝車が無い者は徒歩で集団示威行為をしたり、ハンドマイクを使った街頭演説や抗議活動も好いだろう。


 文章が上手なら、政争ばかりの政治家や営利に狂奔する企業への抗議文の送付したり、アジビラを撒くも良し。或いは、ボランティアなどで社会貢献するのも良いいだろう。救国運動や愛国活動とは夫夫が出来ることをコツコツとやれば好い。


 真面目な右翼もパクられてばかりいる右翼も、ヤクザブルな軟弱右翼も、金儲けの下手な右翼も、ヤクザ系右翼やフィクサーを気取ったゴロツキ右翼も、歌心のない乞食右翼と揶揄される右翼も全部が右翼。色んな右翼がいて右翼なのだ。


 右翼は愛国者などではない。愛国者とは社稷を重んじて懸命に働き納税してる資本家であり、国に頼らず国を支えている勤労者(サラリーマン)だと思う。


 右翼でありながら怠惰に生きながら、日々の困窮する生活に流されながらも、一維新者としての志しさえ忘れなければいつかはその熱意は届くだろう。


「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、我が国が然も滅亡するかの様に叫ぶ保守派や、我が国に係る危機を売り物にしてる営業保守がいる。


 日本会議を始めとした営業保守や保守派コメンテーターらの言葉を真に受けて、その御先棒を担ぎ、前衛となってネットで騒ぎ立てているのが、自称・愛国者を気取ったネット右翼。流行りでやってるのだろうが、流行りとは正に「病気」である。


 右翼の何たるかも知らないで「ネット右翼」とは右翼陣営もナメられたものだ。愛国運動が軽々しくなったのは右翼指導者の無能は然ることながら「愛国」や「保守」を利用して蓄財し、居の安きに甘んじてる右翼の先生方が元凶ではなかろうか。


 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の現象や行動の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。


 高邁な心を忘却し、高い精神の伴わない現在の我が国の様な米国主導の民主主義や資本主義に因る繁栄はやがて衰退するだろう。我ら大和民族は目先の繁栄ではなく、神武肇国の精神の高揚と国民国家の繁栄をこそ目指さねばならないのだ。


 国を愛する心を涵養するとは如何なることか。街頭に立ち、日の丸や旭日旗を掲げ、街中を闊歩すれば愛国者なのか。やらないよりはやった方が好いだと批判されたりもしたが、そんなものはオナニーと同じで贔屓の引き倒しそのものだ。


 愛国心とか大和心とはそんなものではない。愛国とは祖国日本に生を享けた者が、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは、神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進すること以外に無い。


 防挺(防共挺身隊)に愛着はあったが、前任者やそれを取り巻く体制に付いて行けず袂を分かつ結果となってしまったのは返す返すも残念無念なことだった。今やその行動右翼のパイオニアを自任した防挺も風前の灯というのも寂しい限り。


 防挺のそうした現状に隔靴掻痒の感は拭えないが、愚生を含め、防挺を去った後輩らも、防挺に所属していたという誇りを胸に精進して欲しいものだ。


 ということで、怠惰に日々を過ごしてしまっている愚生への自戒と、純粋に右翼活動に打ち込んでいる若手活動家にエールを送ってみました。呵呵。

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