いのちのバトンを受けついで いまここに 自分の番を生きている
- cordial8317
- 2024年7月7日
- 読了時間: 4分

最近は「結婚しない」とか「子供は産まない」という価値観が然も当たり前の様に語られ受け入れられている。出産を「生産性」という言葉で表すのは如何かと思うが、結婚して子供を産み育てることは世界の何処の国でも当たり前の行為である。
ジェンダー平等やLGBTQという性的変質者どもの価値観が席巻し、己の欲望を満たすことこそが当然と考える人が多くなった。結婚して子育てにカネを使うより「稼いだカネは自分の為に使いたい」との考えに至れば、国家は成り立たない。
相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」という詩がある。
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと十代前で
千二十四人
二十代前では・・・?
なんと百万人を越すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それがわたしのいのちです
今の自分が存在は代々続く御先祖様のお蔭であり、その先祖の誰一人が欠けても今の自分が存在しないのは言うまでもない。父と母で2人、父と母の両親で4人、そのまた両親で8人。10代前では1024人。20代前ではナント100万人を越す。
己(個)の存在とは、代々の長い歴史から考えればホンの一瞬の出来事に過ぎない。人生とは御先祖からバトンを受け継いでるリレー走者に過ぎない。
先祖から紡いできた歴史を顧みることもなく、結婚もせずに子供を産まないとなれば、自分の代で紡いできた永い先祖の歴史が終わるということでもある。
珍左翼のカリスマ・福島瑞穂の「生まない選択 子供を持たない楽しさ」というトンデモ本がある。当の福島本人には子供がいないかというとそうではない。
「子供を生まない」「子供を持たない」とは性的変質者らしい発想だが、子供が出来ないなら仕方ないが「生まない」「持たない」とは実に身勝手な扇動である。
LGBTQなんてのは、性的嗜好を優先しているだけ。SEXなんてやってる様じゃ本物の愛ではない。SEXが無くなっても「この人といたい」と思えれば本物の愛だろう。性的少数派というより性的嗜好を優先する性的変質者そのものでしょ(笑)
「子供を産まない」「子供を持たない」とは当然の権利であり、男女共同参画社会に逆行しているというが、子供を産み育てることは人生の大仕事でもある。
何より、家庭(家族)とは、未熟な夫婦が結婚して、子供を育て上げる過程で精神的にも肉体的にも共に成長して本物の夫婦となって行くものである。
今の自分が存在しているのは、沢山の御先祖様のお蔭であり、現代の安っぽい「子供を生まない」「持たない」という価値観に共鳴するというのは、自分の代で紡いで来た永い歴史が終わるという自覚に乏しいし、余りにも身勝手な生き方である。
何より家族とは、未熟な夫婦が子供を産み、共に育てることで、精神的にも肉体的にも共に成長して行くものだと思っている。 同じ様に、国家にも歴史がある。
我が国は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国だ。日本列島に存在していた方々は皆、我々の御先祖様なのである。 その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々が存在している。 我が国の歴史は、正に我々の御先祖様の歩みなのである。
その祖先の歴史を貶し、罵る連中がいる。これ即ち御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりは、自分という存在自体を否定していることと同じだ。
男女共同参画社会とかジェンダー平等だとか、「子供は生まない」「子供は持たない」というヘンテコな価値観を強要してる連中は自国を貶め、政府を如何に腐すかに躍起になっている。問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、罵る。
愚生は右翼と蔑視されてはいるが、別にマルクスや毛沢東理論に対抗している訳では無い。単純に祖国日本という奇跡の国に生まれ、国家の恩恵を享け乍ら、その国家を貶めてる連中が大嫌いなだけ。そんなクソどもの反対が右翼ならそれで結構。
我が国は我々が考えてる以上に左翼勢力が蔓延っている。戦後の米国の価値観の押付けから、現代に於いては国連や米国民主党が扇動する左翼政策が罷り通る。
左翼の謀った諸問題を解決するには、現代の薄っぺらい価値観や短い人生の経験を基に解決を急ぐよりも、先人の多くの経験や教えから学ぶことこそ懸命である。
壊れつつある我が国を建て直すには、日本人として御先祖様の営為を学ぶことこそが近道でもある。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とは蓋し名言である。
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