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「四十歳迄は勝つ様に四十歳以降は負けぬ様に」

  • 執筆者の写真: cordial8317
    cordial8317
  • 2024年5月18日
  • 読了時間: 3分

 戦国武将の武田信玄は「四十歳迄は勝つ様に。四十歳以降は負けぬ様に」と教えている。若い頃と違い、無理が利かない年齢になって頑張り過ぎて勝つことだけを追いかけてると、体力も消耗するし思わぬ大敗を招きかねない。それなりの歳になったなら「勝つことよりも負けぬことを心掛けよ」というのは大事な教えである。


 この言葉は、未だ「人生五十年」の頃の言葉だから、今の時代ならば「五十歳迄は勝つ様に。五十歳以降は負けぬ様に」ということだろうか。還暦過ぎた愚生は「戦わずして勝つ」か、否、「余計な戦いはしない」というのが分相応か(笑)


 信玄は「勝負の事、十分を六分七分の勝ちは十分の勝ちなり」とも訓えている。勝負事は、六分か七分の勝ちが好いと言うのだ。つまり、負けなしの圧勝は次への局面への対処も遅れるし、何より、身内の驕りや慢心、そして油断を齎すと諭す。


「もっと気合いを入れろ」とか「全力を尽くせ」とばかり言ってないで、「少しは休め」「明日に響くから程々に」と「六分勝ちの哲学」に学ぶ方が効果は大きい。


 美空ひばりの「柔」の歌詞に「勝つと思うな、思えば負けよ」という一節がある。勝負事は「相打ち」で好いと思っていて、気負いの無い方が気が楽になり実力を発揮するもの。斯くいう愚生の場合、勝負事といえば専ら競輪競馬くらいなもの。


 愚生からすると、ギャンブルを否定する人や競輪や競馬なんぞやったことが無い人というのは人間的な魅力を感じない。それは無難な人生を歩んで来たという如何にも安泰した生活臭が、そういう雰囲気を醸し出しているからだろうが、何事も失敗を経験し、バカな事に打ち込んだ人というのはどことなく人間味に溢れている。


 六分の勝ちという教えはギャンブルにも当て嵌まる。色川武大こと阿佐田哲也はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩え、「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えた。戦国武将の言葉よりも実に分かり易い。


「幸運が続き過ぎると危ない」という考えから、ギャンブルに大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」とよく語っていたというが、見倣うべき人生訓。


「満(み)つれば(か)欠くる」ともいうが、愚生の人生も40歳の頃がピークで、後はずっと欠けっぱなし。まぁ、月も三日月になってしまえば後は満ちて来るし、ツキは戻って来るものだから、今を凌げばどうにかなるだろうと楽観視している。


「勝つと思うな思えば負けよ」という。「勝とう」「勝たねば」と思うと実力を発揮出来ずに終わるということが多いが、これを「引き分けで好い」と思うと意外と気負わずに出来るもの。そんな精神的余裕が勝ちに結びついたりするものだ。


 ギャンブル依存症などは論外だが、ギャンブルを目の敵にしてる連中にもうんざり。競輪や競馬をやり乍ら全国を旅する「旅打ち」というのは精神修行でもある。阿佐田の他にも浅田次郎や伊集院静、山口瞳なんかも旅打ちを愛した作家である。


「旅先でギャンブルを行う」というスタイルは、江戸時代の博徒・国定忠治などの無宿人がそう。阿佐田や浅田、伊集院といった作家の作品がウケるのは、そうした経験から滲み出る人間性から発した生きた言葉や人生観が綴られているからだろう。


「旅打ち」にも出たいと思うが、旅打ちに持参する程の資金も無い。という訳で、軽挙妄動を戒めて暫くはブログと筋トレに専念しているしかない様だ。呵呵。

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