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「人生会議」は家族や身内は勿論、身近な人にも話しておくべし!

  • 執筆者の写真: cordial8317
    cordial8317
  • 2024年4月12日
  • 読了時間: 3分


 厚生労働省が吉本興業のタレント・小籔千豊を起用して作成した「人生会議しとこ」のポスターを巡り、批判が相次いでいるという。こうした批判はいつものことだが、愚生的には言いたいことや大事なことが十分に伝わって来る。


 人間というのは、誰しも健康であれば明日があると思って生きている。自分だけは直ぐには死ぬことはないと思っている人が殆どだろう。


 啓蒙が趣旨のポスターに「患者にも家族にも配慮がない」などと抗議した団体もいるというが、多くの人には「死」というのは他人事なのだ。


 イエス・キリストは「一日のことは一日にて足れり」と訓える。カッコイイ言葉でいうと「一日一生」。右翼人の中にもこの「一日一生」という言葉が好きなと人が多いが、終身保険に入ってながら「一日一生」って、何だかなぁ(笑)


「今、この場で頑張らずにいつ頑張る」というが、今日のことは今日中に全力を挙げてやり通す。明日なんて来ないかも知れないし、通勤中に事故に遭うかも知れないのだからその日に済ませれることは済ませておくべきだ。


 病気になっても意識が鮮明なら伝えることは出来るが、突然に意識が無くなり、また言語が不自由になってからでは言残すのは困難。まさかの時の為に家族や気の置けない友人などに死後の事を話しておくのは大事なことだと思う。


 愚生も愚妻には「葬式はやるな」「仏教徒でもないので戒名不要」「死に顔は誰にも見せないで棺桶を閉じて早々に焼いてくれ」「散骨して欲しいが、それも面倒なら市の管理する無縁仏の納骨堂に納めてくれ」と幾度となく話している。


 借金返済の対応や「脳梗塞で半身不随なら面会拒絶」「延命治療はするな」「身内には死んでから一週間ほど経ってから報告だけすれば好い」「香典や花は辞退しろ」「若し死ぬのが俺が後だったらどうしたい?」と細かく指示してる。


 愚妻や倅だけに言ってたところで、日頃付き合いもない親族や知人から「何でやらないんだ」と文句を言われるだろうから、兄弟や親戚や知人にも予め言い含めているが、追追、最期についての文書を綴り配布しておこうと思っている。


「死」というものは貧乏だろうが金持ちだろうが、誰にでも平等に与えられた道でもある。人間というのは死に向かっているのに必死に生きる。死と生、この二つは矛盾してるが生き続けるというのは死に近付いているということでもある。


 極楽浄土や天国なんてのは釈迦牟尼やキリストが死への恐怖を取り除く為の優しい嘘だと思っている。人間死んだら終わり、全てが「無」となる。


 釈迦牟尼は「長生きは無間地獄」と教える。立派な生き方とは長い時間ではなく、生き方の中身が大事。だが、多くは長生きしたいと願っている。


 愚生は極楽浄土や天国とは今を生きてる現生に有ると思っている。自分より劣る者や難渋している人に手を差し向けることこそが極楽浄土や天国というカタチなのだと思っている。助けてやるとどことなく気持ちが好くなるが極楽気分(笑)


 仏教徒の多くは、自分の家の宗派も分からずに死んだ時だけ坊主を有り難がっているが、仏教徒が死後に戒名を頂くのは、死んで釈迦牟尼の弟子となり、修行を続けるという意味すら分かっていない。要は、信者も坊主も葬式仏教なのだ。


 病気になる前や倒れる前に、自分の葬式や墓のことなども話し合っておくべきで、小藪のポスターはそうした大事な事を教えているのに、くだらない抗議してる利権団体というのは「死」の在り方というのを理解しているとは思えない。


 臨死体験という話は聞くが、実際に死の世界から戻った者はいない。それだけ死後の世界というのは居心地が好い素晴らしい処なんだろうな勝手に思っている。ということで、皆さんも、突然ポックリ逝くかも知れませんよ。呵々。2019/11/29記

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